京都ぐらし

週末に西荻窪から京都の四条に引っ越しを済ませ、関西での生活をスタートさせている。
今回は、自部署の拡大に伴い、関西地区で社員を雇って仕事を開始するにあたり立ち上げの業務で赴任している。
期間は、3〜6ヶ月を想定している。

前回もう9年前か、関西に出てきた時には大阪のカルチャーに馴染むことを最優先に考えて、あえて南の方に家を借りた。(あびこ)
しばらくして西日本全域を担当する営業になったので新大坂駅の近くに居を移し旅カラスの生活2年した。
今回は、期間も短いので、「京都に触れよう」と、「観光地を迷わず案内できるレベル」で良いので、「なんちゃって京都通」、「少しは京都知ってるよのてい」を目標にしている。

よもやま話かな

近況報告の続きなのですが、ここのところ以前みたいに量が食べられなくなっている。
それでも普通の人よりはたくさん食べるので、「食べられない」とか言うと、えっどこが??って思わるはずなんだけど、自分的には全然駄目。
あっちも全然駄目だから、脂ぽいけど脂が抜けてきている感じがする。枯れはじめ?ってやつかな。

食べることが何にもまして好きな私が、自分で食べられないって思う日が来てるんだから、いろいろと考えてしまうんんだけどね、たぶんそれはやりたいことはやりたいときにやっておけってことなんだと思うよ。

久しぶりに私の日記を読みに来てくれた古くからの友達の皆さんには声を大きくして言いたい。
やりたいことがあったら、できるうちにどんどんすればいいね。やりたくてもできなくなる日が来るかもしれないしね。

意識の高いおじさん

8月から大阪で勤務する予定なので家探しも兼ねて、京都に来ている。
ANTEROOMというサイトではちょっと意識の高い感じのホテルに泊まり、Barでウイスキーを飲みながら
久しぶりにBlogの更新をしている。

一人で酒を飲みながら、スマホをしている人っていつの間にか多くなっていると思うけれど格好悪いよね。
でも、このホテルのBarではMacを使って何かをしている人がいる。。。

かくいう私も調子に乗って部屋にPCを取りに行って、カウンターでこうやってるんだから迷惑なおじさんなのかなと。

自分を苦しくする自分の言動

記憶力が低下していることを感じることが多い今日この頃だ。(いったいいつからが「今日この頃」なのかも分からないくらいに。)
今朝は、昨夜チームメンバーに送ったメールの内容を思い出して、なんだかモヤモヤしている。
自分の正義について、伝え方について、伝わることについて。
些細なことだが、承認行為についてルールを守っていないチームメンバーに対してメールで注意をした。
その些細な事は、在宅勤務をする際には口頭での直属の上長から承認を得た上で、他のマネージャも含めてメールにて正式に申請することになっているのに、口頭で相談をせずにメールで承認の依頼をしてきた、という内容だ。
「承認しますが、ルールとして事前に口頭での相談となっていたので以降はそのようにしてください。」
この一文を入れた。

  • 相手は子供でもないのでルールは守らなければならないということは知っていただろうが、口頭で話す時間もなかったのではないか?
  • 定型的な承認で口頭で相談すれば100%OKなので大丈夫だと思ったのではないか?
  • ルール至上主義で融通が効かない人間だと思われるのではないか?
  • 私が口頭での相談を忘れているのではないか?
  • 悶々とするくらいなら、承認依頼のメールに返事をしなければ良いのではないか?(私の上司は、口頭での報告を求めているものに関しては、仮にメールを受けても返事をしないというスタイルだ。)
  • 小さな穴があくと規律が乱れる、遂行されないルールは廃止すべき、標準ルールはルールとして融通の範囲をもたせるべきではないか?

こんなことに時間使っても売上は伸びないような気がするけど、、、なんだろうね。ベースのところができていないと生産性なんて上がんないと思うんだよね。。。
しかし、こだわっているのは生産性なのかな?権威を侵されていると感じている防御的な反応なのか?
うーん。

理屈じゃないこと

西荻窪に戻ってきた。23時頃、西友に寄ったら60歳くらいと思われる浮浪者臭のするおじさんが、ブルゾンの中に食料品を詰め込んでいた。(バレバレの万引きをしていた。)
気の毒だなと思う気持ちと、臭いし自分の立ち寄るスーパーには来ないで欲しいな気持ち悪いわ、と、思った。
店員さんの少ない時間に食べるもの万引きしないと生きていけないって辛いな。
※※※
米の話。母方の在所では米を作っている。私も、爺さんが生きていて元気だった頃は、毎年、田植えと稲刈りの手伝いをしていた。
結婚するまで、一人暮らししていた時期を含めて米は買ったことが無かったが、結婚して暖かいマンションに住む場所が変わり、もらったコメから虫が湧くとう経験を何度かしてから、嫁さんの手荒れがひどいこともあり無洗米を買うようになった。
年始にお袋と話をしていたら、去年は、鹿が田んぼに入りいつもほど米が採れなかったらしく、契約先への出荷が優先されて私の実家でも今年に限って米を買わなければならなくなったそうだ。(叔父に代替わりしても両親は田んぼの手伝いをしている。もう45年くらいやってんのかな。。。)
米は作ったところの水で炊くと美味しいと思う。自宅の水道水で、爺さんの田んぼで作った米を食べても美味しくなかった。
亡くなった爺さんは、柔らかく炊いた米が好きで、炊き立て以外はほとんど食べなかったように記憶している。
「稲武の米は最高だ。」といつも言っていたが、確かに同じコメでも爺さんの家で食べる米は美味しかった。
それでいて、爺さんはいつもコップで冷やの剣菱を飲んでいたが、なぜ蓬莱泉を飲まなかったのだろう?値段が高いからか??しかし、剣菱も一升で2000円くらいだから、蓬莱泉の別撰とたいして変わらないぞ。同じ本醸造だし。
たまたま風呂で日本酒を読みながら、kindle oasis で日本酒の本を読んでいて、風呂上りに薫さんのツイートを見て、昔こと、数日前にお袋と話したことを思い出した。
要はこだわりになんだろうな。
風呂で飲んだ酒は、白鴻 の純米吟醸(BY2016 広島雄町 無濾過生原酒)
今飲みたいのは、三千櫻の純米R。
もう寝る。


実践 行動経済学

実践 行動経済学

純米酒を極める (知恵の森文庫)

純米酒を極める (知恵の森文庫)

成長とは

過去の日記をまとめて別のidに移して、ここでは最近のことしか書き残さないことにしてから、かなりの時間が経っていることに気づいた。
順番に過去の日記に遡って読んでみて、ここ数年悩みも同じであまり変化のない自分にも気づいた。
40前後から人生の折り返しを意識し始めて、最近では老化の一途という感覚がある。
44歳で老化の一途とか書いてしまうと諸先輩方に失礼な気もするがコンディションを維持することが難しい。
普通に生活しているだけなのに痛みを感じる部分がある。
体力的な理由で集中が持続できない。
そんな状態ではあっても人としては成長をしていきたいと思う。
しかし、成長ってなんだ?昨日よりより良く生きられることか?
覚えることより忘れることの方が増えている気がする。
昨日までできていたことが、いつの間にかできなくなっていることもある。
自分のなすべきこと、自分のしたいこと、どのような心持ちで最後を迎えたいか。