存在と無

GW休み明け(明日)に役員のビジネスレビューがある。

ゆえに常に心の何処かに仕事が存在していた長期休暇だった。

休み中に上司に資料の事前レビューとフィードバックをしてもらったりしたこともあり、ずっと嫌な感じの仕事に関わる夢ばかり見ていた気がする。

明日のレビューが怖い。コロナ→半導体不足で物がないので、売上を作るの苦労していて、今期は成果が出ていないので、どんなご指摘をいただいてしまうのか、、、とにかく怖い。

普段は、他責にしなければ心が保てない辛さなのだが、「納期が悪くても注文はもらってこい」という指導や、「引き合いの件数と金額が少ない」という指摘も継続して受けているので、苦しくてシンドい気持ちが続いている。

他人の評価(正確にいうと、周囲が自分を無能な営業と思っていて、クビになるんじゃないかという恐怖)に、心を乱されている。

上司たちの気持ちもよく分かる。売れない→稼げないから若手社員が辞めている→欠員出ても数字は減らないから自分たちのクビも締まる→数字のプレッシャーが厳しい→数字の悪い担当に色々言ってしまう(でも現場仕事は交代できない)→現場が疲れる→はじめに戻る、という悪循環

 

休み中に、飲み(食べ)歩きしたこと、潮干狩りに行ったこと、愛知で家族や両親や妹家族と食事したり、愛犬と戯れたり、京都市内をプチツーリングなど、リフレッシュすることもたくさんした。それでいて、仕事関連の嫌な夢をたくさん見たりもしたが、資料作りをしていたので、普段は忙してくては考えられないことも考えたので、休みボケにもなっていない。

 

生きることを肯定的に考えていきたい。

 

あの時の仲間たち

先週、京都に赴任してから約1年半ぶりに東京に出張した。

色々と行きたいところ会いたい人はいるけれど、今回は昔の職場の仲間たちと最終の新幹線までの酒を飲んだ。

30台半ばになる元部下たちと自分、こんなご時世でもみんなそれぞれの場所で成功をしていて、3人はマネージャにプロモーションしていた。残る1名もそのうちそれ相応の職責を担うことになるのだろうと感じた。

それぞれ結婚したり、子供ができていたり、家を買っていたり、話題は仕事や私生活いろいろだったけれど、どれもがこれからのこと、まだまだどこかに登っていく内容が多かったように思う。あれがしたい、こうなりたい、もっと儲けたい、、、なんだろう眩しいし、いいじゃん、みんな頑張れよって感じだった。

一緒に仕事ができたこと、こうやってまた誘ってもらえて一緒に酒が飲めること、ありがたいと感じた夜だった。

私は、私で、家のローンは多少残っているし、これからも何かをしたいと思う、でもどこかに向かってますます登っていくような感覚はない。

まだまだ自分の中にあるものを感じながら、何かに抗うことは続けるんだろうと思う。

それが何かは、今はまだよく分からない。

ないものねだり

自身の雇用に関わる問題で、プレッシャーを感じる出来事があった。

平たく言うと今年度の上期の営業実績が良くないので、コスト削減の方向性になったら、真っ先に自分が首切りされるんじゃないかという心配だ。

半導体不足で若手が結構な人数、自ら辞めているのでオープンのHCを返せばリストラは無いはずと想像はするけれど、使えない高給取りというカテゴリーで切られる可能性は0ではない。

というか、そういう雰囲気を感じて、アドバイスをくれた人がいた。

22年も勤められたんだから、まあよく生き残っているよね、って自分に思うこともある。でも、いつか自分が死ぬように、死ぬより前に今の仕事を辞める日がくるわけだ。

必ず、絶対に。その時がきたら、さぱっとそのことを受け止めて次に行けばいい、走れなくなるまで走って、その後は歩けなくなるまで歩けばいい、歩けなくなっても食べられるなら食べて、生きれるだけ生きればいい。

っていうか、なかなか自分でコントロールすることは難しい。でも正直なところ、小心者であることは長生きの秘訣なのかもしれないとも思っている。

卒業

今日は、娘の大学卒業式だった。

自分にとっても一区切りな感じがしている。

娘が小学校に上がる年に最初の単身赴任を1年間して、5年生から今日まで長く家を離れて生活をしている。子育てした感じはまったくしない。

コロナが流行した2年前からは休日に自宅に帰る機会も減ってしまい、ここのところは以前に増して色々と話す機会が少なくなりがちだ。

自分は、この先に、また子供を作ることはないだろう。

過ぎてしまった時間は、過ぎてしまった時間だ。子育てすることはないんだろうな。

自分で選択をしてきたという気持ちもあるから受け入れられている。

 

駅のホームで本を読む

3月に入り、暖かい日が増えている。

今週は仕事に追われ、平日はリラックスする間もなく終わってしまった感じがしたので、週末は少しでも好きなことをしようと、昨日は栗東(滋賀)まで出かけた。

目的地は栗東。エリア会員でいつでも利用可能な、GOLD'S GYM 栗東滋賀店での胸、背中トレ。

徒歩5分の京都烏丸店ではなく、4,50分かけて滋賀に行ってみた。

 

今、住んでいるところは京都の繁華街で、買い物や食事や文化的な施設(美術館、博物館、映画館)、そしてスポーツジムも、徒歩圏内たくさんある。もちろん家の近所だけで、気分転換も含めた生活に必要な要素すべてが揃う。

遠出は、ドライブか電車に乗りたいとか、たまには愛知の自宅に帰ろうとか、なんとなくここ(京都)とは違う場所にいたい、そんな時だけだ。

 

☆☆☆

栗東(滋賀)に話題を戻す。関西エリアで滋賀の人口が増えているということは、少し前にネットのニュースでたまたま見て、なんとなくではあるが認識していた。そして、今回、栗東の駅で電車を降りて、「ああ、なるほどこういうことね、、、」とすぐに理解ができた。正確に言うと駅に近づく車窓から見える景色でも、そのことに気付いた(感じた)。

大阪、京都のベッドタウン、関東で言うとTXの沿線で、駅の近くに新築のマンションが建っているエリアという感じだ。北千住より埼玉、茨城側でも新宿までなんとか通勤できなくもない、そんな感じ。

駅周辺に生活に必要な比較的新しい大型商業施設が揃っていて、戸数の多い関西では高層マンションと言えるような集合住宅が多くある。JRなので駅間の距離が長く、コンパクトで密集度の高い街ができている印象。鉄道と平行して幹線道路もある。道路と鉄道がバランス良く共存している。

 

☆☆☆

2月に新風館の中にある小さな映画館で「ドライブ・マイ・カー」という村上春樹原作の長編映画を2回見た。情報量が多く、シチュエーション的に近い要素も多少なりともあり、色々なことを感じ考えさせてくれる映画だった。これから何回かこの映画を観賞して、物語に含まれている要素(情報)や、各シーンで私が感じたことを整理できれば、ここで文章化にチャレンジしてみたい気もするけれど、まあ無理だろう。

それは、映画同様に非常に長い文章を書くことになりそうで、そういう人生感的なところに通ずる作品で、それだけ自分にとっては重みを感じる作品だった。

 

☆☆☆

やっと本題に入れる。栗東駅には普通電車しか停らないので、乗車時間がそこそこかかる。京都からの車中では「ドライブ・マイ・カー」の原作(短編小説集「女のいない男たち」)を読んでいた。普段は携帯性や保存性を考えてKindleで購入するけれど、今回は映画作品にちょっと特別な感情持ったからか、ほぼ意識はしていなかったけれど先週末に書店で紙の本を手にとり、少し立ち読みしてそのまま購入していた。映画は自分の物語になり、まだどこかに向かって続いている。

栗東の駅で降りた時、日差し、そしてホームの足元の空気、それらから暖かい春の空気を感じた。

短編小説は読みかけで先が気になり、天気もよく気持ちがいい、急ぎの予定も特に無い。

たぶん10分くらいだったのではないか。ホームのベンチに腰掛けて、短編の一話が終わるまでそのまま小説を読んだ。自分と友達とその恋人、昔3人の間にあった話、その後日談。

そして私は、明日は近況報告も兼ねて日記でも書いてみようかな、、、と思ったのでした。

ぼちぼち元気です。春か。

1/10(月) 振り返り

備忘録も兼ねて昨日の振り返り(ってか、blogになって過去日の日記の書き方が分からない。)

 

3連休を充実させるため、10日(3連休最終日)は、8時間以上の予定ということでバイク(クロスカブ)でのツーリング?に出かけた。

10時前に家を出て、19時過ぎに帰宅したように記憶している。

 

別宅(烏丸御池)→生駒山→難波&今宮戎→六甲山→有馬温泉→篠山経由で帰宅

最後は京都でサウナに立ち寄る予定が、ゑびす神社で十日戎していたので駐車場に入れず、サウナ(&マッサージ)は延期になってしまった。

難波から六甲山に向かう途中に、西宮神社の前も通ったので、関西の主要なえびす神社を3つ見たことになる。

 

お出かけで満足できたのは、なんばグランド花月の前で食べた、「わなかのたこ焼き」と「有馬温泉の銀の湯」かな。。。

久しぶりに道後温泉に行きたくなった。

 

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次の3連休は、2/11(金)からか。。。

雪が積もっていたら、三峰山に霧氷を見に行こうかな。そして温泉かな。。。

 

Google Map なかなかお利口

 

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2022年は3連休が7回ある

年末年始の長期休暇明け、1/4週は3連勤、1/8からの3連休をはさみ、1/11週は4連勤、1/17は5連勤となり、徐々に働くペースに身体が馴染んでくるイメージでとらえていた。

いきなり全力疾走はキツイように思うので、今年のカレンダーはなかなかに良い感じだと思っていた。

しかし、この3連休の過ごし方は、決してベストではなかったと、3連休の中日にして既に軽く後悔している。3日連続の休みがあるんだから、通常の週末にでできないこと(予定)を考えるべきだったのではないかと。

正確には、金曜日の夜からこの3連休に何をするかはずっと考えていたし、なんなら考えたことのいくつかはこれまでに実行してきているし、そして、まだ実行に至っていないアイデア(予定)もいくつかある。

そう、通常の週末(2日間)にすることと似たようなことはしている。例えば、部屋の掃除であったり自炊であったり、ジムでのトレーニングであったり、買い物であったり。。。普段の週末ならそれで十分、リフレッシュにもなる。

 

結局、時間が経てば、この3連休がどうだったか?なんてことは考えないのだから、時間の使い方を後悔しても意味は無いとも思う。そして改めて日記のタイトルに戻ると、今年は3連休があと6回もある。ありがたい話だ、3連休無いよりもちろんあった方が嬉しい。だからこそ残り6回は、通常の週末とは違う過ごし方をしたい。当たり前だが、3連休が始まる前日の夜に、何をするか考えてもアイデアが固まらなければ小さな予定しか入れられないのだ。

自分は、もともと休日の予定を前もって考えたり、有給を使って周りが仕事をしている時に休むのはあまり得意ではない(仕事の連絡があるかもと思うと完全に休みの気分になれない)。

 

ここまで書いて、3連休をうまく使ったと思えるようにするためには、計画するタイミングで8時間以上の時間を必要とする予定を考えるのが良いかもしれないと思った。必然的に遠くに出かけるとか、スクール関係やイベントに参加してみるとか、人と何かをして過ごすなど、具体的なアイデアに落とし込むことができそうだ。旅行、登山、人と合うとか、大きめの箱を用意して事前に具体化していくのが良さそうだ。

それを考えると、明日の予定も1,2時間単位のものばかりだ。いっそのこと全部の予定を先送りにして、8時間以上の予定をこれから考えて実行すれば、第1回目の3連休から上手に過ごしたと思えるかもしれないな。

 

さてどうしようか。。。