やりたい事、全部はできない

土日と愛知県の自宅に帰っていた。

定期的に通っている病院2件、家の用事、実家の用事を済ませて、ジムとスーパー銭湯に行ったら、なんだか疲れてしまった。(合間に溜まっていた事務仕事をしていたこともあるかも)今日は、昼からパワーリフティングの試合に向けて、大阪のジムに行くことを考えていたが、結局、大阪に戻ってからは部屋の掃除、昼寝、仕事の残り、、、現在に至るという感じ。この日記を書いたらスーパーに食材の買い出しに行くかも。。。

 

娘が社会人になってから、親としての務めが一段落したような気持ちになっている。

これからは、もっと自分のやりたい事に取り組みたいと思いながらも、2022年もあっという間に終わってしまった。

そして健康であれば、まだこの先、数十年は続くであろう人生。親に、毎月年金でいくらもらっているか聞いて、思っていたよりずいぶん少なくて驚いた。

老後に自分のやりたい事をするならそれなりにお金かかるだろうし、働いているうちじゃないと、いつまで生きるか分からないし、収入がないと先のことが心配で、お金のかかることはできないだろう。

それ以前に何かやりたい事やるならまずは気持ちを支えられる体力だろう、、、とか色々と考えてしまう。

そう時間もあまりないんじゃないかな。サケだって産卵したら死んじゃうし、動物(哺乳類)だって3世代なんてあんまり無いよね。子孫を残して、独り立ちして、命をつなげたら、大きな意味で役割終わるし、そのあとの燃料なんて本来いらないもんだろうしね。

小刻みな時間はあるけれど、大きな方向性で物事を進めるための考えている時間がないのか。。。そもそも無自覚で生きているのか。

今の職場で、とりあえず生き残るために、なんで休みの日まで夢に見るくらい仕事に気持ちを持っていかれるのか?数百年前のご先祖様なら、やりたい事とか考える前に、その日の食べることとか、病気とか、もっと生きるに必死だったんだろうと思う。