激しい運動は睡眠の質を下げる

新大阪の新居での生活もリズムが整ってきた感じがする。

職場が近いので、仕事は会社、家では(積極的に)仕事しないというマイルールを決めたのが良かったかもしれない。

もともと家で仕事をするのは、そういう環境が用意されていたので20年近く前からしていると思うけれど、単身赴任の一人暮らし、在宅勤務をベースにして、納期対応など前向きになれない仕事ばかりを、同じ場所で毎日繰り返していたら、まあ精神的にまいるのも無理はないと気付いた。(引っ越して気付けた。)

結局、京都での生活は、近所のゴールドジムが気持ち的な逃げ場だったんだと思う。ハードなトレーニングしていると、その間は完全に仕事から自分を切り離せるからね。

引っ越ししてからも、身体を良くしていきたいという気持ちは、変わらずある。

前提に食べることが好きだから、好きなものを食べても健康な状態でいられるようにするためには運動は必須だと思っている。

たくさん食べて、たくさん運動をして、身体を良くして、健康体でいられて、パフォーマンスを上げていく。。。

でも、50歳を目前にやはり変化は大きくて、、

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・たくさん食べる(同年代と比べればメチャクチャ食べられるけれど、自分比だと確実に食べられなくなっている)

・たくさん運動する(集中力の維持、回復力が落ちている)

・身体を良くして(瞬間的な出力が100の身体じゃなくて、常に70~80の状態でいて、時には手順を踏んで準備さえすれば100の力を出せる身体)

・健康体(身軽に動ける、十分な睡眠、エネルギーの収支を1日単位で合わせて生きる(無理しない))

 

体調が良くない

火曜日からワクチン接種3回目と同じ感じ(倦怠感、頭痛、首周りのこわばり)がしている。身の回りでもコロナになった人が多いので、気分的なものかもしれないけれど、それでもなんだか心配は心配なので、出社は控えて大阪の別宅で過ごしている。

営業職なのでお客様訪問のアポイントも入れたいという気持ちと、こういう時期ましてや自分の体調にも違和感があるので、今は訪問の打診は控えたほうがよいのではないか?とどこか中途半端になっている自分がいる。

注文をもらった製品が全然日本に入ってこないとか、納期は未定みたいな状態も続いているので、どこか普通じゃない日々は相変わらずだ。

いや、今となっては何が普通なんだろうか?という気持ちもするな。

6月末に生活における仕事比率を上げるために京都から大阪に引っ越してみたものの、1ヶ月と経たないうちに、自分の感覚なのか世の中がそうなのかはっきりはしないけれど、自分の想定以外の変化もあり、やはり何かが日々変わっているような気持ち(漂う感じ)になったりもするようなしないような。

文章書いているから、普段以上に自分の中に気持ちを向けているから、こういうまとまりのないことを書いてしまうのかもだ。特に何も深くは考えていない気もするぞ。

 

田舎暮らしを真剣に考えるプロジェクト(そう、「ドアを開けようとしたらうまく開かない問題」みたいな表現が最近多いよね。)は、絶賛継続中で、隔週で将来住みたいと思っている田舎(祖父の家の近所)に行っている。

中古物件を調べたり、バイクで空き家が無いかをチェックして回ったり、おじさんの山に入って山中を散策したり、思いつきで色々やってみてはいるものの、なかなか自分の中で軸になってくる活動がない。

 

崖崩れしていて侵入できなかったところ

なぞのキノコ

蝦蟇(全然動かない)

 

里山暮らしを考える

京都から新大阪に引っ越しをして1週間経過した。10年ぶりくらいに淀川の河川敷をランニングして、しばらくは大阪の生活も悪くないな、と思い始めている。それにしても梅雨が明けてしまい毎日暑くてしかたない。

週末は、金曜日の晩から愛知の自宅に戻り、土曜日は妹の家に停めさせてもらっていたバイクに乗って叔父の家に行った。

1ヶ月ぶりに祖父の墓掃除(草取り)をして、それから別荘予定地で両親と妹家族とBBQした。甥っ子姪っ子は川遊びをして、自分は羊肉や親鳥をたくさん食べた。羊肉は家で焼くと脂が酷いので外で食べるにかぎる。

温泉旅館の立ち寄り湯に入って汗を流し、バイクは叔父さんの家に倉庫に置かせてもらうことにして、両親の車で自宅に帰ってきた。

☆☆☆

最近は、今後の人生をどのように生きていこうか考えることが増えている。

生活の大半は、住んでいるところから半径1km程度の範囲の環境に大きく依存する。今回は会社の近くに家を借り、在宅勤務者だが毎日オフィスに通ってみた。同じ会社の人と顔を合わせる機会も増えて、仕事の面では明らかに何かが変わってきている感覚がある。

愛知の自宅に戻れば、近所の実家にも必ず顔を出す。家族の様子や両親の状況もなんとなく肌で感じて理解する。

収入がある程度あるうちは都市での消費を楽しむ生活は悪くないと感じていた。実際に単身赴任生活が長くなるなか、これまで住んだ場所は、「住んでみたい場所」にこだわりそれなりに楽しんできたと思う。住みたい場所を選ぶときは、半径1kmよりもっと近場にあるものにこだわって、半径300~500mをしっかり考えた方が良いと思う。

☆☆☆

身近な環境という意味とは少し異なるが、数時間レベル以上の滞在を考えると、トイレがものすごく大事になる。高校は寮生活、大学は部活の合宿所生活と集団生活には耐性が高い自分でも、トイレが汚い、汚い可能性が高いエリアには、絶対に行きたくない。

ここ10年くらい海外への旅行にまったく魅力を感じなくなったのは、トイレが汚い(経験、可能性)からだと思う。

☆☆☆

コロナの影響で動けなかった時期を除き、私は3拠点生活(赴任先の都会、愛知の自宅、いつ行っても歓迎される実家)をしている感覚だ。

今、老後のことも考えて4拠点目を考えている。中古で安い家を買おうか情報収集している。今の生活のペースだと、泊まれても月に2泊程度なんだよな。温泉宿に週末泊まるでもいいし、1人で色々確認するだけなら借家でもいいし、なんなら車で往復4時間だから車で通うでもいいんじゃないかと、、、

問題はトイレなんだよな。清潔なトイレないと4拠点目にはなり得ないんだよな。

トイレ、トイレ、トイレ

 

 

 

墓参りをして気付いたこと

「自分を100%応援してくれてる人がいると思うこと」は苦しい時に心の安寧につながると思う。これを「100%味方理論」とする。

今、生きているこの世界に確かなものなど無い、全てを疑う気持ちが強くなってくると、自らの心の拠り所としての、「100%味方理論」における100%の味方なんて、いったいどこにいるんだろう?と考えることになる。

すでにこの世にはいない人は「100%の味方」となりうると思う。私にとって生き方の憧れ、自分を100%応援してくれる存在として、亡くなった祖父はそういう位置付けになる。

だからか、心に迷いを感じた時には、祖父の墓参りに一人で行くことがこれまでにもあった。

祖父の墓は、里山の小高い場所にある。何年かぶりの一人での墓参りだったが、雑草が墓石の周りに生えていて、周囲の集落の人たちのお墓とは少し様相が異なっていた。

右下が祖父のお墓周り


(前回、一人で墓参りに行ったのは10年前かも、その時は手入れされていて、雑草は生えていなかったと記憶している)

https://euro-2.hatenadiary.org/entry/20121008/1349693922

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10年で祖母は施設に入り、跡取りの叔父は体調が優れないそうで、今はお墓の手入れまで手が回っていないことが分かった。

道具を借りて2時間位かけて全体の1/4くらいの雑草を抜き、叔父と少し雑談をして帰ってきた。

叔父 65歳→75歳

 

2時間草取りしてもこんなん(先は長い)


追記

気付いたこと何も書いてないわ(笑)また書くかも。

なにか分かることがあるかもしれないと質問に答えてみた

seikatsu-hyakka.com

 

 

1.目標を高く持ちすぎている
与えられた目標は低くはないが、自ら目標を高くするようなことはしていない

2.自分に厳しすぎる
決してそうは思わない。むしろ自分に厳しくすると続かないから甘やかし気味

3.努力することが目標になってしまっている
目標を達成するための先行指標を決めて、その数字にこだわっているところはある

4.結果を出すための方法を間違えている
あるかも知れないが、具体的に指摘をもらえていない

5.他の人の話や意見を聞くことが少ない
むしろ今は成功するための具体的な指導をしてもらいたい

6.人と比べてしまっている
比べたりもするが、それぞれコンディションが違うという気持ちもあるので、固執してしまうこともない

7.反省することがあまりない
くよくよする時間は多いが、次に繋がるアクションに落とし込めていないかも

8.自分のことを認めてくれる人が周りにいない
この状況で認めてもらえたら、それはそれで、、、

9.一緒に頑張れる人が周りにいない
エンジニアは協力的

10.努力した自分を褒めてあげていない
褒めようがない。。。

11.完璧主義で妥協を許さない
それはない。妥協を常にしている

12.固定概念がある
あったとしても自覚がない

13.努力することを楽しめていない
成果が出ないと楽しくない

14.結果を出す未来を想像できていない
やればできるという気持ちにはなっていない

15.自分の好きではないことをしている
成果が出れば楽しい仕事だと思っている

16.計画的にできていない
まだ改善の余地はあるかも知れないが、自分なりには計画的にやっていると思う

17.どうすれば結果を出せるのかを具体的に考えていない
成果を出すためには複合的な要素が必要。そして何が足りないのではないかという気持ちが常にある

18.プライドが邪魔している
プライドが邪魔をしていたかもしれないと感じることがあったので、プライドは捨てていると思う

19.努力のバランスが偏っている
全般的に忙しいから、バランスが全方位的に不十分な気がする

20.必要のないことまで頑張っている
成果につながらない内容でも、お客様からの問合せなど手を抜いてはいけないと思うことは、やってしまう傾向がある

21.結果を出している人をよく見ていない
観察できるような人が周りにいない

22.力を抜くタイミングが分かっていない
だいぶ抜いている

23.今やるべきことが何か明確でない
お金を持っている顧客に新規コール

24.責任感を持てていない
それはない

25.結果を出すこと以外のことに目移りしている
そうならないようにしているつもり

いったい何なん?

最近の日記を読み返すと、事あるごとに「辛い」「辛い」と書いているような気がする。

実際になんだかシンドい感じはずっとしている。たまにメンタル疾患?って思うこともあるけれど、食欲があって、しっかり睡眠も取れているので、単純に仕事で気持ちがシンドいだけなんだと思う。

YouTubeで50歳からの転職とか、早期退職して仕事をやめたらどうなった、的な動画も漁るように見てしまう。6月末には、京都を離れて特に住みたくもない会社の近くに引っ越すことにした。

書くのもちょっと恥ずかしいことなんだけれど、辛いときって両親の顔を思い浮かべるね。お父さん辛いわ、お母さん辛いわ、って口にすることもある。

両親は元気なんだよね。

嫁さんに辛いって言ったら「辛いのはみんな一緒だ!」って言い返された。

昨日、銭湯でテレビを見ていたら、スズメバチが別の巣のスズメバチに襲われて、羽を食いちぎられて飛べなくなって地面を這っている様子をやってたんだど、アレってもう死ぬの待つだけの状態だよね。でも羽を食いちぎったスズメバチもいつかは死ぬわけだし。

人に飼われている犬や猫って辛い時は、自分を産んでくれた親を思い出すのか、それとも、いつもそばにいる飼い主のことを思うのか、どうなんだろう??

ロシア人は、ウォッカを飲んで空になったグラスを床に投げつけて割るんだって。酒で酩酊して、ガラスは粉々に砕けて、その破片たちがどうしようもない心の襞に埋まっていくんだそうだ。辛さや悲しさや生きづらさを、そうやって埋めて生きていくんだ。

 

 

辛さの原因

2週間前のビジネスレビューで自分の中では色々と腹が決まった。

*何があっても自分自身が納得ができるようにやろう*ということで、大きく考え方が変わるわけではないけれど、腹が据わった感じはする。

それにしても、なんだか苦しい。もう何年も、淀んだ感じになっている気もするし、それは気のせいかもしれない。

恵まれているのに、恵まれていることも分かっているし、それに感謝して生きていれば苦しくなんてないはずなのに、なんでなんだろうね。