東京に出て来て約2ヶ月

部署移動をして2月1日から東京に出てきているが、やっとこ2ヶ月経とうとしている。

新しく担当することになったお客様は、今まで担当してきた業種と大きくは異なる。よく考えてみたら初めての業種だ。

仕事の進め方もこれまでと違うので、異動してからかなり戸惑いを覚えていた。

クロスフィットをする環境も無くなり、運動することもなく、昼夜関係なく仕事をしていたので、体調を崩してしまった。

しかし、そんな中でもようやく仕事に慣れてきていて、落ち着いてこれからの自分の生活を考えることができるようになってきてはいる。

もうすでに仕事中心の人生という考え方ではなくなっている。もちろん仕事も大事だけれど、それと同時にプライベートを充実させないと楽しくない。

そんな中で、今いくつか計画を立てていることがある。

 

 

52歳、ウィーンへの旅路で見つめた「余白」の意味

※生成AIバージョンの記録です。笑

予兆としての閉塞感

旅の始まりは、期待よりもむしろ「息苦しさ」の中にあった。 大阪から乗り込んだ新幹線。インバウンドの活気に溢れる車内、特大荷物スペースのすぐ横の席。そこで私を待ち構えていたのは、逃げ場のない強い香水の臭いだった。188cmの身体を縮めるようにして座りながら、私は言いようのない不安を感じていた。

この不快感は、単なる臭いのせいだけではなかったのかもしれない。 これから向かうウィーンでのトレーニング。新しい部署に異動したばかりで、議論の土台となる「具体的な案件」を一つも持っていない自分。フレームワークを学ぶ場でありながら、語るべき材料がない。その「手ぶら」の状態への焦燥が、車内の閉塞感と共鳴していたのだと思う。

15時間のフライトと「6割」の対話

羽田で同僚と合流できたとき、張り詰めていた糸が少し緩んだ。 ミュンヘンを経由する長い空路。そこでの時間は、結果として今回の出張の「6割」を占める重要な意味を持つことになった。

レーニングの内容は、確かに刺激的だった。だが、それ以上に私を支え、思考を深めてくれたのは、これから共に仕事をするメンバーとの何気ない会話であり、深夜の内省の時間だった。

英語が得意ではない中で、議論の輪にどう入り、どう貢献するか。具体的な案件がない中で、これまでの自分の武器をどう定義し直すか。深夜の機内、あるいは空港のラウンジでグラスを傾けながら、私は繰り返し自分に問いかけていた。完璧な成果を出すことよりも、今の自分の「現在地」を認めること。それが、今回の私にとっての隠れたテーマだった。

教室の外にある学び

現地でのトレーニング(Challenger Den)は、想像以上にタフなものだった。 顧客の視点を変える(Reframe)という手法は、論理的であると同時に、深い人間理解を求める。自分の過去の経験を無理やり型に嵌めるのではなく、なぜ自分が「標準化」にこだわってきたのか、その本質を掘り起こす作業。

日本人メンバーとのディスカッションでは、案件を持っていないという引け目を超えて、「運用設計の視点から言えば、こうではないか」という問いを立てることができた。それは、教本にある「4割」の正解を探す作業ではなく、自分のこれまでの歩みを信じるという「6割」の内省の成果だったように思う。

ウィーンの冷たく清潔な空気の中で、私はようやく深く息を吸うことができた。新幹線で感じたあの息苦しさは、いつの間にか消えていた。

52歳、新しい標準を設計する

帰国した今、心に残っているのは、フレームワークの細部よりも、共にウィーンの地を踏んだ仲間たちの横顔と、自分自身のキャリアに対する静かな覚悟だ。ウィーンの街並み、暗く淀んだドナウ川、経験のない氷点下を下回る寒さや静けさ。

52歳。人生の後半戦において、新しい領域に飛び込むことは、決してスマートなことばかりではない。言葉の壁に突き当たり、自分の無力さに肩を落とすこともある。だが、その「格好悪さ」も含めて、誠実に自分を整えていくプロセスこそが、私のスタイルなのだと再確認した。

これからの仕事。そして、いつか実現したい二拠点生活。 ウィーンで得た「4割」の知識を、日々の「6割」の対話と内省で肉付けしながら、私はまた、自分なりの新しい標準を設計していこうと思う。

東京での家さがし

日記というよりは、記録に近い文章だ。

今週は金曜日から、東京へ家探しに出かけていた。2泊3日。
引っ越しに関わる費用は会社が負担してくれることもあり、時間は十分に取って探すつもりだった。けれど、結果的にはかなりギリギリの判断になってしまった。

家探しの条件はいくつかあった。
まず、クロスフィットのボックスに通えること。
次に、オートバイを停められる駐車場がマンション敷地内にあること。
家賃は10万円以下に抑えたい。
そして、会社まで通勤1時間以内であること。

冷静に考えると、かなり欲張りな条件だ。
実際、そんな都合のいい物件は都内にはほとんど存在しなかった。

今回の家探しを通じて、あらためて感じたのは、昨今のインフレの影響の大きさだ。
家賃は明らかに高騰している。

物件探しは、ポータルサイトで条件を入力し、わずかに見つかった候補を事前に現地で下見し、その上で不動産会社に連絡するという方法を取った。
やり方としては悪くないと思っていたが、結果的に成功だったとは言えない。

理由ははっきりしている。
不動産サイトに掲載されている価格が、いわゆる「釣り」のケースが非常に多かったからだ。
実際にはすでにその部屋は存在していなかったり、別の部屋で条件が少し良くなる代わりに家賃が大きく上がったりする。
集客目的で安い条件を掲載し、実際にはより高い物件を契約させようとする意図が透けて見えるものが多かった。

不動産の営業マンについても感じることがあった。
言葉遣いに問題があるわけではない。
ただ、短期間で成果を出すことを求められる営業スタイルなのだろう。
こちらのニーズをじっくり掘り下げて確認する余裕はなく、少しでも面倒な客だと判断されると、あっさり切られてしまう。そんな印象を受ける場面が何度もあった。

この3日間は、社会の変化を強く実感する時間だった。
とにかく物価が高い。家賃も高いし、食費も高い。
そして、それに引きずられるように、人の心まで少し荒んできているのではないか――そんなことを考えさせられた。

私の心も、毒気にあてられて荒んでしまったかも。

山陰の旅

11/22-24 未踏の山陰エリアをオートバイで走って旅行してきた。

 

初日、高速のPAから大山を望む(1ヶ月ぶりに見たら冠雪していた)

美保関灯台

美保関から大山を望む

 

(またあらためて書く、、、疲れた。)



六甲全山縦走に失敗

昨日、神戸市主催の六甲全山縦走大会に参加してきた。

約、15年ぶりのチャレンジ、1ヶ月ほど前に宝塚→六甲山最高峰→有馬までを余裕をもって歩けたので、無理をしなければ歩き通せるのでは期待しての挑戦だったが、、、結果は大変残念だが、15:30頃 摩耶山でリタイアを決断した。

悔しい気持ちと、コンディションが悪かったという天候を恨む気持ち、準備不足だったという気持ち、できることは全部やったから仕方ないという気持ち、なんだか恥ずかしいという気持ち、挑戦した自分を認めよう、現実を受け止めることに意味があるのではないか??等々、いろいろな感情が未だに頭の中を巡っている。

改めて現時点で感じていることを書き出しておこう。

 

<準備について>

現状、納得できる範囲での準備をしたと思う。

申し込みをしたのは8/6なので、3ヶ月の準備期間はあった。長時間、山を歩くためのトレーニングをすることはできたが、それはしなかった。休日に体力的に厳しい山歩きはせずに、オートバイでのツーリング旅行を優先したのだ。

その代わり、荷物が軽くできるようにバックパックを新調したり、シャリバテを避けるために補給、怪我に備えた装備、などお金を使ってできる対策は全部した。

当日も公共交通機関での移動ではスタートが遅くなってしまうので、5時にスタートできるようにオートバイで現地入りした。

前日の早朝に、スタートの須磨浦公園に行って駐車場の位置確認、寒さ具合の確認、トイレの状況なども確認した。

長時間、長距離歩くトレーニングをすれば結果が変わったかもしれない。でも限られた時間の中で、したいことは他にもあったので、ここは悔いていない

<当日の天候>

昨日は雨だった。雨中、55km六甲山のハイキングコースを歩く想定は十分できていなかったと今は思う。

まずは服装について。前日に下見に行った際には、ハイカーとトレランをする人がいて、少し歩いてみた感じでは、トレランのウエアで臨む方が良さそうに感じた。だが天気予報は雨、走る前提はないのでランニング系に寄せるのは寒いのではないか?と感じた。

結果的には、ハイキング系のウエアに寄せた。雨については小雨前提で、上はレインウエア、下は撥水性がある程度あるトレッキング用のパンツ、シューズは透湿性をもったゴアテックスの履き慣れたミッドカットのハイキングシューズにした。公道を歩く時間帯もあるので軽い傘も用意した。

バックパックは重たくなるので、トレラン用のベスト(前面にボトルが2本入るタイプ)にした。

コースはぬかるみもあり、いつも以上の大渋滞をおこし、前に進めない場所も多かった。追い抜きのできるエリアでは、走って時間を稼いでいる人もいたが、自分は最初から走らない前提だったので、普通に歩いていた。

雨は想定以上に強かったので下半身はずぶ濡れでパンツが張り付き、足さばきが制限されたし、シューズは水の溜まった長靴状態になってしまった。

トレラン用のベストには雨天時のカバーはなかったので、水を吸って重たくなってしまった。ウエストポーチは防水性のあるオートバイ用のものを使ったので貴重品は濡らさずに済んだけれど、全体に的に失敗している感じがある。下半身もレインウエアと靴に水の入らないようにゲーターを付けて、ザックも雨用のカバーのあるものにするべきだったかもしれない。

<タイムマネージメントについて>

オートバイを使い、5時にスタートしたにもかかわらず、摩耶山に着いたタイミングで2時間以上後にスタートしている赤鬼に追いつかれてしまった。(実際に赤鬼はフルで歩くわけではないと思われる。チェックポイントの足切りタイムから歩き始める印象)

2時間早くスタートして、途中でトイレ以外は、休憩もほぼ取らずに歩いていたにも関わらず、摩耶山で赤鬼に追いつかれた原因は、前半で渋滞したのに走ってリードを守ることをしなかったことに起因していると思う。緩やかな下りは走った方が良かったし、そのような装備で望むべきだったかも知れない。ただ、膝を痛めてしまったのでどうするのが正解だったのか未だ分からない。。。

<膝を痛めた理由は?>

ぬかるみを長時間歩いていたことが原因なのは間違いないが、普段こんなに悪いコンディションでハイキングをしたりはしないので、どうすれば良かったのかは分からない。

<山歩きの楽しさ>

山歩きには準備フェーズでの知的な楽しみがある。想像力を働かせて、必要なものを準備をするのは楽しい。一方で歩く時は、少しでも登山の目的や当日の天候にあった装備で、山では景色を楽しむなど快適に時間を楽しく過ごしたい。六甲山全山縦走はタイムを競うレースではない。過酷な登山でもない。距離は長いが、ロングハイクであり六甲を愛する人の集いなのだと私は思っている。1万円近いエントリー費用を払ったので、当日に参加辞退することは考えもしなかったが、身体にダメージを抱えて、雨が酷く、リタイアして自尊感情も失い、罰ゲームに参加したような気持ちにもなっている。

<これからの自分に>

15年近く前に達成できたことが今回は達成できなかった。歳を重ねたから仕方がないことなのか?1つの結論として受け止めて、気持ちに整理をつけて行くのが良いのか?

膝さえ持てば、時間制限がなければ、自分は最後まで歩けたのか?

昨日は制限時間をオーバーして、膝も痛くなり、坂が登れなかった。天気が良い日に、膝を守る準備をして、再挑戦すれば55kmを歩ききれるのだろうか、、、それとも自分はもう六甲全山縦走を達成するのは無理なのだろうか?

これでいいのか?って思う。