疲れた。疲れた。

人前で「疲れた。」などと呟いたら、親に叱られていたという人もいるらしいが、あー疲れた。疲れた。
なぜ、疲れているか振り返ると

  • 月曜日…特に疲れることはしていない
  • 火曜日…客先訪問の後に部下と蒲田で酒を飲んで布団に入ったのが25時
  • 水曜日…パートナー向けイベントに参加して人疲れ
  • 木曜日…会社の忘年会で10時近くまで錦糸町で飲んでいた
  • 金曜日…いろいろしていて26時に就寝

水曜日は朝5時起き、それ以外は6時起き、そりゃ睡眠不足になるなって感じだな。。。
週末に寝て取り返すのはあまりよくない習慣と本で読んで、直してみたいと思っていても、なかなか難しいな。

人の心

仕事が忙しくなると本が読みたくなる。
不思議なもので、GW、お盆、年末年始、、、長期の休みに本を読もうと思って準備していても、十分な時間があるときは読書欲が消えて、本を読みたくなくなってしまう。なぜ?
今年は入院をしている時に結構な量の本を読めたけれど、病院の個室のベッドでなにもすることが無かったからだと思う。
規則正しく日に三度の食事をとり22時には完全消灯の環境だったからだろうか?

昔、はてな100の質問とかプロフィールに載せているのがあったと思うけど、久しぶりにやってみたいなって思う。
自分のことを誰に知ってもらいたい、そういう気持ちと、自分がどんな人なのか改めて振り返りたいからなんだと思う。

新規部署の立ち上げで東京に出てきて、最初に正社員で採用した5名ではじめて退職者が出た。
自分が採用した人が会社を去っていくことは、今となっては珍しくない日常行事なのだが、何もないところから一緒にスタートしたメンバーが去るということで、いつもと違う感じがしている。
5年近く頑張ったものの、今の仕事(営業)がどうしても好きになれなかったようだ。
残念だなという気持ちと、誰であろうといつまでも一緒にいられるわけではないということが久しぶりに思い出されて、普段からその時が来た時に悔やむことが無いよう、人とは接していたいものだと改めて感じた。

義祖母の十三回忌で、嫁さんの実家で開かれた法事に参加してきた。
お坊さんが来て、般若心経と修証義を読まれて、少し雑談をして法事は終了した。その後、仕出しを食べて雑談をして解散した。
子供の時からこの歳になるまで、お経って意味も分からなく長いしこれって意味あるのかな?、ってずっと思っていた。
亡くなった方を思い出す日というか、向き合う日としては意味はあると思うけど、意味の分からないお経を聞いて何の意味がある?
仏壇に向かって、お坊さんがお経を唱えると、亡くなった人が楽になるわけでもなく、
これって生きている人のため、自分のためにお経を聞いている、もしくは唱えているのだから意味も分からずボケっとしていたり、まあそれはそういうものということで亡くなった方を偲べばいいちゅうもんかと。
仏壇の中から、集まってくれている人が見えてるなら、懐かしい顔が自分のために集まってくれてるのは嬉しいと思うけど。。。
自分が仏壇の中から眺める側になったら、難しいお経の意味なんてどうでいいから、まあ楽しく幸せであって欲しいと思うだけだろうな。。。
まあ、いいか。そんなもんか。(一応、日記を書く前に、修証義についてはネットで調べてみたことだけはメモにしておく。より良い生き方について書かれているようだ。)

なんとなく許せない部下がいる。
そう、いつも必ずいる。その部下がいなくなると、今度は別の部下が気になりだす。
今、一番許せない気持ちになっている部下は、時間にルーズ。朝が弱いので朝イチのミーティング開始時間に遅れてくる。
2週間で4回、いずれも5分程度。
15分刻みのフレックスタイム制度なので、勤務時間を15分減じればよいと思っているのかもしれないが、私はそうは思えない。
30歳を目前として、いかがなものか、、、
「いかがなものか、、、」ってオジサンぽいな。いや、今となってはオジサンか。

毎度のことだが、お盆休み、イベントが終わると暇をもてあます状態になる。
今日は、13時間ほど寝た。途中何度も起きているが、ご飯も夜の1食だけしか食べていない。
体を動かしていないのでエネルギーも消化していないはず、なので丁度よいだろう。
食べ疲れすることが多いので、長期休暇で親戚めぐりする時は要注意。たくさん食べて英気を養うつもりが、太るし調子も悪くなる。
何事も適量。