足りない知識は手っ取り早く本から補う習慣がついて、週末は大きな本屋に出かけている。
丸の内の「丸善」と吉祥寺の「ジュンク堂」に比較的良く行く。都会の生活の何が良いかといえば、一番は家の近くに大きな本屋があることかもしれない。
本屋では、気になるジャンルの本をいろいろと立ち読みして、欲しい本はスマホKindle版がないか確認している。
本屋には申し訳ないが、Kindle版があればネットでそのまま買ってしまう。kindle版がなければ、しかたがないので紙の本を買う。
少し前までは紙の本の方が好きだったけれど、記憶力も良くないので読んだことを何かに纏めて使おうと思うとKindle版の方が都合がよい。
私は、PC版のkindleで読んで気になる箇所をsniping toolで画面のコピーをとり、ワードに貼り付けて後で使っている。
以前は記憶に定着させることを目的にノートに転記していたけれど面倒だから読書ノート的なものは自分には合わないと思っていた。(面倒くさいが勝る。)
必要な箇所を抜き出していて感じるのは、目次と必要な箇所数ページ抜けば、一度読んでしまえば、あとはそれほど自分にとっては重要でないということ。
本屋は、この先ビジネスモデルを変えていかないと、私みたいな情報活用の仕方が一般的になると売上げが下がっていくのではないだろうか。
☆☆☆
そう。今日は「面倒くさい」について書いてみようと思う。
プライベートの私は、身の回りのことについては極度の面倒くさがりだ。脱いだ服はいつもそのまま、洗って乾かした服も次に着るときまでハンガーに吊るしたまま。
毎回、飲んだカップを洗うくらいなら紙コップにしたい。できれば水周りの掃除はしたくない。でも汚いのが好きなわけじゃない。断然綺麗な空間が好きだ。
目先の「快」には滅法弱く、楽な方へ楽な方へ流れてしまう。自制心に欠けているような気すらする。
だから、身の回りの物を増やさないようにしている。使わない物は多少惜しくても捨てるよう徹底している。(徹底が足りないが、、、じゃあ徹底とは言えないね。)
最後の日を迎えた時に、「全然持ち物がありませんでしたね。」と言われるくらい物がないとよいと思う。
その時には、面倒くさいもの含めて、全部綺麗に忘れているのかな。だろうな。半分生きて、覚えていないことが圧倒的に多いもんな。
こういうところは、多少面倒くさくても良い気がする。忘れてしまうことはいつも寂しい。
でも写真とかは好きじゃないんだよな。。。面倒くさいし。