なにか分かることがあるかもしれないと質問に答えてみた

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1.目標を高く持ちすぎている
与えられた目標は低くはないが、自ら目標を高くするようなことはしていない

2.自分に厳しすぎる
決してそうは思わない。むしろ自分に厳しくすると続かないから甘やかし気味

3.努力することが目標になってしまっている
目標を達成するための先行指標を決めて、その数字にこだわっているところはある

4.結果を出すための方法を間違えている
あるかも知れないが、具体的に指摘をもらえていない

5.他の人の話や意見を聞くことが少ない
むしろ今は成功するための具体的な指導をしてもらいたい

6.人と比べてしまっている
比べたりもするが、それぞれコンディションが違うという気持ちもあるので、固執してしまうこともない

7.反省することがあまりない
くよくよする時間は多いが、次に繋がるアクションに落とし込めていないかも

8.自分のことを認めてくれる人が周りにいない
この状況で認めてもらえたら、それはそれで、、、

9.一緒に頑張れる人が周りにいない
エンジニアは協力的

10.努力した自分を褒めてあげていない
褒めようがない。。。

11.完璧主義で妥協を許さない
それはない。妥協を常にしている

12.固定概念がある
あったとしても自覚がない

13.努力することを楽しめていない
成果が出ないと楽しくない

14.結果を出す未来を想像できていない
やればできるという気持ちにはなっていない

15.自分の好きではないことをしている
成果が出れば楽しい仕事だと思っている

16.計画的にできていない
まだ改善の余地はあるかも知れないが、自分なりには計画的にやっていると思う

17.どうすれば結果を出せるのかを具体的に考えていない
成果を出すためには複合的な要素が必要。そして何が足りないのではないかという気持ちが常にある

18.プライドが邪魔している
プライドが邪魔をしていたかもしれないと感じることがあったので、プライドは捨てていると思う

19.努力のバランスが偏っている
全般的に忙しいから、バランスが全方位的に不十分な気がする

20.必要のないことまで頑張っている
成果につながらない内容でも、お客様からの問合せなど手を抜いてはいけないと思うことは、やってしまう傾向がある

21.結果を出している人をよく見ていない
観察できるような人が周りにいない

22.力を抜くタイミングが分かっていない
だいぶ抜いている

23.今やるべきことが何か明確でない
お金を持っている顧客に新規コール

24.責任感を持てていない
それはない

25.結果を出すこと以外のことに目移りしている
そうならないようにしているつもり

いったい何なん?

最近の日記を読み返すと、事あるごとに「辛い」「辛い」と書いているような気がする。

実際になんだかシンドい感じはずっとしている。たまにメンタル疾患?って思うこともあるけれど、食欲があって、しっかり睡眠も取れているので、単純に仕事で気持ちがシンドいだけなんだと思う。

YouTubeで50歳からの転職とか、早期退職して仕事をやめたらどうなった、的な動画も漁るように見てしまう。6月末には、京都を離れて特に住みたくもない会社の近くに引っ越すことにした。

書くのもちょっと恥ずかしいことなんだけれど、辛いときって両親の顔を思い浮かべるね。お父さん辛いわ、お母さん辛いわ、って口にすることもある。

両親は元気なんだよね。

嫁さんに辛いって言ったら「辛いのはみんな一緒だ!」って言い返された。

昨日、銭湯でテレビを見ていたら、スズメバチが別の巣のスズメバチに襲われて、羽を食いちぎられて飛べなくなって地面を這っている様子をやってたんだど、アレってもう死ぬの待つだけの状態だよね。でも羽を食いちぎったスズメバチもいつかは死ぬわけだし。

人に飼われている犬や猫って辛い時は、自分を産んでくれた親を思い出すのか、それとも、いつもそばにいる飼い主のことを思うのか、どうなんだろう??

ロシア人は、ウォッカを飲んで空になったグラスを床に投げつけて割るんだって。酒で酩酊して、ガラスは粉々に砕けて、その破片たちがどうしようもない心の襞に埋まっていくんだそうだ。辛さや悲しさや生きづらさを、そうやって埋めて生きていくんだ。

 

 

辛さの原因

2週間前のビジネスレビューで自分の中では色々と腹が決まった。

*何があっても自分自身が納得ができるようにやろう*ということで、大きく考え方が変わるわけではないけれど、腹が据わった感じはする。

それにしても、なんだか苦しい。もう何年も、淀んだ感じになっている気もするし、それは気のせいかもしれない。

恵まれているのに、恵まれていることも分かっているし、それに感謝して生きていれば苦しくなんてないはずなのに、なんでなんだろうね。

存在と無

GW休み明け(明日)に役員のビジネスレビューがある。

ゆえに常に心の何処かに仕事が存在していた長期休暇だった。

休み中に上司に資料の事前レビューとフィードバックをしてもらったりしたこともあり、ずっと嫌な感じの仕事に関わる夢ばかり見ていた気がする。

明日のレビューが怖い。コロナ→半導体不足で物がないので、売上を作るの苦労していて、今期は成果が出ていないので、どんなご指摘をいただいてしまうのか、、、とにかく怖い。

普段は、他責にしなければ心が保てない辛さなのだが、「納期が悪くても注文はもらってこい」という指導や、「引き合いの件数と金額が少ない」という指摘も継続して受けているので、苦しくてシンドい気持ちが続いている。

他人の評価(正確にいうと、周囲が自分を無能な営業と思っていて、クビになるんじゃないかという恐怖)に、心を乱されている。

上司たちの気持ちもよく分かる。売れない→稼げないから若手社員が辞めている→欠員出ても数字は減らないから自分たちのクビも締まる→数字のプレッシャーが厳しい→数字の悪い担当に色々言ってしまう(でも現場仕事は交代できない)→現場が疲れる→はじめに戻る、という悪循環

 

休み中に、飲み(食べ)歩きしたこと、潮干狩りに行ったこと、愛知で家族や両親や妹家族と食事したり、愛犬と戯れたり、京都市内をプチツーリングなど、リフレッシュすることもたくさんした。それでいて、仕事関連の嫌な夢をたくさん見たりもしたが、資料作りをしていたので、普段は忙してくては考えられないことも考えたので、休みボケにもなっていない。

 

生きることを肯定的に考えていきたい。

 

あの時の仲間たち

先週、京都に赴任してから約1年半ぶりに東京に出張した。

色々と行きたいところ会いたい人はいるけれど、今回は昔の職場の仲間たちと最終の新幹線までの酒を飲んだ。

30台半ばになる元部下たちと自分、こんなご時世でもみんなそれぞれの場所で成功をしていて、3人はマネージャにプロモーションしていた。残る1名もそのうちそれ相応の職責を担うことになるのだろうと感じた。

それぞれ結婚したり、子供ができていたり、家を買っていたり、話題は仕事や私生活いろいろだったけれど、どれもがこれからのこと、まだまだどこかに登っていく内容が多かったように思う。あれがしたい、こうなりたい、もっと儲けたい、、、なんだろう眩しいし、いいじゃん、みんな頑張れよって感じだった。

一緒に仕事ができたこと、こうやってまた誘ってもらえて一緒に酒が飲めること、ありがたいと感じた夜だった。

私は、私で、家のローンは多少残っているし、これからも何かをしたいと思う、でもどこかに向かってますます登っていくような感覚はない。

まだまだ自分の中にあるものを感じながら、何かに抗うことは続けるんだろうと思う。

それが何かは、今はまだよく分からない。

ないものねだり

自身の雇用に関わる問題で、プレッシャーを感じる出来事があった。

平たく言うと今年度の上期の営業実績が良くないので、コスト削減の方向性になったら、真っ先に自分が首切りされるんじゃないかという心配だ。

半導体不足で若手が結構な人数、自ら辞めているのでオープンのHCを返せばリストラは無いはずと想像はするけれど、使えない高給取りというカテゴリーで切られる可能性は0ではない。

というか、そういう雰囲気を感じて、アドバイスをくれた人がいた。

22年も勤められたんだから、まあよく生き残っているよね、って自分に思うこともある。でも、いつか自分が死ぬように、死ぬより前に今の仕事を辞める日がくるわけだ。

必ず、絶対に。その時がきたら、さぱっとそのことを受け止めて次に行けばいい、走れなくなるまで走って、その後は歩けなくなるまで歩けばいい、歩けなくなっても食べられるなら食べて、生きれるだけ生きればいい。

っていうか、なかなか自分でコントロールすることは難しい。でも正直なところ、小心者であることは長生きの秘訣なのかもしれないとも思っている。

卒業

今日は、娘の大学卒業式だった。

自分にとっても一区切りな感じがしている。

娘が小学校に上がる年に最初の単身赴任を1年間して、5年生から今日まで長く家を離れて生活をしている。子育てした感じはまったくしない。

コロナが流行した2年前からは休日に自宅に帰る機会も減ってしまい、ここのところは以前に増して色々と話す機会が少なくなりがちだ。

自分は、この先に、また子供を作ることはないだろう。

過ぎてしまった時間は、過ぎてしまった時間だ。子育てすることはないんだろうな。

自分で選択をしてきたという気持ちもあるから受け入れられている。