なぜ私は走ったのか?

なぜ私は走ったのか?そして走るのか?
先日の東京マラソンは、ベストタイムより1時間程度遅かったが無事完走することができた。
東京のど真ん中を大勢の観衆やボランティア、ランナー達に囲まれて走ることは、独特の心地よさもあり、事前の準備も含めてそれなりに満足している。
しかし一方で、何かが気持ちの中で引っかかっているような感じがしていて、今日まで日記を書くことができないでいた。今でもよく分からないひっかかりがある。
自分自身への最初の問い「なぜ私は走ったのか?」
振り返ると36歳の時に「厄年の歳にフルマラソンを完走できる体力を付けておきたい。」と思い、その時の気持の延長線に今回の東京マラソンがあった。たまたま今、東京に住んでいて、高倍率の抽選にも当たった。運が良かったと思う。
36歳の当時、私は体力の衰えを強く感じていた。そんなある日、フィットネスのトレッドミルで走りながら何気にテレビを見ていたら、たまたま四万十川ウルトラマラソンのドキュメンタリーが放送されていて自分も長い距離を走ることにチャレンジしたい!と強く思い、まずは少し先の10kmのレースにエントリーをしたのだった。。。
10kmを歩くこと無く走りきった時は、とにかくホッとした。今、思えばずいぶんレベルの低いことだけれど、何もしていないと10km走るだけでも実は厳しい。
ただ走ることは比較的高齢まで続けることができる。定年退職して悠々自適の生活を送っている父ですらまだ走っているのだ。準備さえすればフルマラソンだってしばらく完走できるだろう。
しかし、今回は3年前?の自己ベストより1時間近く遅い。準備が充分にできていなかったのでこの結果は仕方ないけれど、早く走ることに高いモチベーションが保てなかったことも間違いない。早く走る、自己ベストを短縮するという目標には苦しさばかりで楽しさがないと思う。
また増えすぎてしまった体重を13kg近く絞れたので、その点は自分を褒めたい。そして、すでに自堕落な生活に戻りつつあるので、東京マラソンが終わって元に戻ってしまったら意味がないと思っている。
体重を維持、あわよくばもう少し絞ることに、現時点では大したモチベーションもないが、チャレンジを続けたいと思う。っていうかモテ度を上げたい。きゃーマラソン完走すごいですー、とか言われたい。(久しぶりに誰かのコメント期待したい。)
モテたい。モテ続けたい。モテるためには歳の割に若い方が良いに決まってる。
あれ「走る」って続けること自体が目的なのかな?とふと思った。そうモテ続けるために。その割に、ランニングには出会いがないけど。
やっぱりこれからは山だな。山は休めるからそれほどしんどくないし。景色もいいし。
まあモテたいターゲット層は、山なんぞ登る暇があったら、お買い物とかしてるんだろうけどさ。
いいよ。別にそれでもいい。