もう少し悩むと何か新しい考えが生まれてくるかもしれない

少し調子を崩しながら、環境の変化を受け止めている。

身の回りで起こっているイベント、自他の区別がついていれば、なんら悪い影響を受けるようなことでもないはずなのに、ふいに心が乱されたりする。

外部からの入力で、何かを感じてしまうことは基本的にコントロールできない。感じていることを、自分でじっくり見つめて、ひとつの考えに収斂させるプロセスに今は問題がある。ぎこちない。

重たい重量を担いでスクワットをした時にたとえてみる。

ボトムまで慎重にしゃがみながら、切り替えすタイミングで主要な筋肉を動員し、まっすぐ最短距離でバーを持ち上げる時の、動きの滑らかさ、しなやかさがない感じ。

体幹部(芯、軸)にはしっかり力が入っているが、手先には力みがないような状態が日常生活に作れていない。力みが取れると出力に集中しながらも、身体の自由な部分にも薄っすらと気持ちが届くような感覚がある。

日記のタイトルを振り返って、私はなにかに*悩まされて*いるのだろうか?と思った。

自分の外側のことで、心乱をされている(影響を受けている)ということで、これって悩むとは違う気がする。外的な変化に対してどう適応していくのかは、たしかに考えているな。。。やはり悩んでいるな。ループ。

どう適応するか?どう適応するか?これは、現在は不適応な状態になっていて、心理的には不安、不安を解消するための行動について考えている。

そう考えると適応するための行動もはじめているなぁ。

もうねるか。。。