今年のGWも緊急事態宣言にあたってしまった。

去年は愛知の自宅に帰るのは諦めたが、今年は住んでいるのが東京ではなく京都なので少し頑張ってバイク(クロスカブ)で愛知まで帰ってみることにした。

バイクなら移動時にウイルスをもらってしまうことも、仮に自分が感染していたとしても人にうつすことないと思ったので。

小型二種は高速道路が使えないので、ルートは国道1号線と23号線を利用した。行きは雨も時折降っていたので、路面は滑るし身体が冷えてしまって気持ちも萎えたが、帰りは快晴かつルートセレクトが良かったので美しい新緑を楽しみながら帰ってくることができた。

クロスカブは、条件が揃えば75kmくらいまでスピードが出せる。しかし60kmくらいまでが快適な巡航速度で、それ以上のスピードになると車体がガタガタと揺れだしたり、横風が吹けばフラフラもするので、正直怖い時がある。

特に、一車線道路で後ろの自動車に煽られるという状況で、抜かしてもらうためのスペースが無いときは、自分がスピードを出すしかない状況になり、ビビリながらフルスロットルの状態になり、こういう時は特に怖い。

もう少し安定してスピードが出せるバイクだったら、、、と思うので、遠出をした後には、ネットで排気量の大きなバイクを調べて、買い替えを脳内シミュレートしたりもする。ただ、遠出ではなく、京都の街乗りであればクロスカブは完璧な気がする。小回りが効くので狭い一方通行の道にもどんどん入っていけるし、気になるところで停車してさっと用事を済ませることもできる。

大きなバイクにはない圧倒的な利点だ。

街中なら60km位出せれば車に煽られることもほぼない。暇な時に、大した目的もなく京都市周辺を探検するにはうってつけのバイクだと思う。

怖い時もあるものの、総合的には大変満足している。

今後については、これからどういうライフスタイルを選択するかだよなぁ。最近は、70歳くらいまで楽しむ自分をイメージして、楽しいことを探すようにしている。たぶん、どこかのタイミングで愛知県の自宅or実家を生活の拠点にする日がくると思っている。

バイクで長距離ツーリングもしてみたい。でも長距離の移動となると、荷物もたくさん運ぶだろうし運転疲労の観点でも自動車の方が圧倒的に有利だ。

今は自動車の駐車場を契約できる環境ではないが、市内で引っ越しする可能性は低いし、あと2,3年以内に京都は離れると思う。愛知か東京か、、、札幌とか博多には住んでみたいが現実的な選択肢にはならないと思う。

移動のための道具として買うなら自動車だよなぁ。でも移動そのものが目的なら、天気さえ良ければバイクだよなぁ、と考えていても、どこにも考えはまとまらず、気がつけば、まったく別のことを考えている自分がいたりする。

ただ過ぎに過ぐる物。帆をあげたる舟、人の齢、春夏秋冬。

今年は京都で美しい桜をたくさん見ることができた。

去年は浅草寺で桜を見ていたが、1年後に京都で桜を見てるなんて少しも想像していなかった。

今日は愛知県の自宅でこの日記を書いている。

 

☆☆☆

11月に京都に異動(引っ越し)して今月末で半年となる。

東京の新規部署の立ち上げでマネージャになり8年経った中、去年はコロナの業績悪化で部署が解体されることになり、自分は人員再配置プログラム(今辞めたらお得な退職パッケージ)の対象となっていた。

少なからず社内政治にも巻き込まれ、迷った挙げ句、今の状況を選択した。私を送り出してくれた尊敬する上司も1月末に退職された。もう東京に仕事の上で戻る場所はない。

 

☆☆☆

烏丸御池に家を借りて、平日は、ほぼ在宅勤務、GOLD'S GYMとフレスコと銭湯に通う日々。

その傍ら、バイクの免許を取得して週末は京都を散策、産業カウンセラーの資格を取得し、自炊をはじめて5ヶ月で筋力を伸ばしながら5kgのダイエットに成功した。

 

☆☆☆

こういう状況(自分ではコントロールできないことが多い状況)なので、前向きにその日1日を生きられるように意識しながら、同時に少し先のことも考えて過ごしている。(毎朝、朝食後の決まった時間に考えるようにしている)

娘も大学4年生になって、今年、資格の試験を受けて就職をすることになる。

そうなると、私の親としての役目も少し軽くなる(もともと軽いけど)ような心持ちである。

キャリアでいうと、今も新しいことにチャレンジをしながら日々感じているが、状況判断する能力や、人とのコミュニケーションに関しては20台30台より良くなっているけれど、衰えを感じる部分も少なからずあるので、バランスを考えていかないとだめだと思っている。

自分でしっくり来ているのは、「Integrated man になる」という表現。

まだまだ色々できると思っているし、どんどん自由になるし、そしてもっと自らで選んで生きていきたいなぁと思う。

 

☆☆☆

時間軸を意識すると、今は「60歳で節目がきて終わるかもしれないこと」ではなくて、「70歳くらいでどうありたいか?」って視点で考える方がしっくりくる。

子供は自分の道を進むだろうし、大好きな両親にはしっかり親孝行したい。

 

☆☆☆

30台の時は、「何かを得ることはすなわち何かを失うこと」という心持ちだった。

「失う(喪失)」という感覚が薄れているのかもしれない。

「可能性を失う(喪失)」という状態は、そもそも自分の手元に、それがある、状態ではないということに、改めて気づいたのかもしれないな。。。

喪失感のない人生にはドラマチックさがないし、悲哀に酔うこともできないので、面白みには、かけるかもしれない。愛だ恋だには未だに関心高いから、そういうのもちょっとは必要(欲しい)な気がする。 

 

近況報告でしたが、良い感じに過ごしています。

 相変わらずなのか、、、

週末の話

1週間ほど前に腰を痛めてしまった。

その前に肩に痛みがあったので、スクワットなど下半身の種目を中心にトレーニングをしていたため、今度は腰が過負荷状態になり痛めてしまったのではないかと思っている。

腰が痛いと、QOLが著しく悪くなる。毎朝ボルタレンを服用して、習慣(平日の楽しみ)にしていたジムにも銭湯にも行かず、普通に生活していてもしゃがむことも辛いので、つまり身体を使うことは何をするにしても不自由でとにかく辛い毎日だった。

そんな感じではあったもののこの週末にはかなり回復してきていたので、正月以来で愛知の自宅に帰ってみた。

大学4年生になる娘と近況を話し、実家で4月から筑波に単身赴任する義弟の壮行会をして、酔っ払ってタイに単身赴任している弟ともリモートで話しをして、お袋からは5年を目処に愛知に帰ってきて近く(実家と自分の家にをいったりきたり)で暮らしてほしいと言われ、、、姪っ子が亡くなって1年経っている話をして、妹はダイエットに成功していた。

今日は自宅にいても暇なので京都に戻ってきた。そしてエヴァンゲリオンを観た。

嫁さんとはほとんど話していないな。話すこと(話したいこと)がない。

まあ、仕方ないよな。。。

京都に来てから3ヶ月が経った。

緊急事態宣言が出て外出機会も更に減った。1月の後半の週末は、昨年(厳密に言うと2019年末)に申込み期限を逃してしまった産業カウンセラーの受験勉強&テストを受けていた。

仕事にも徐々に慣れていくなか、小型二種(AT)の免許取得、産業カウンセラーの資格試験などのイベントも終わった。そういえば今の会社で一番長くお世話になった上司が1月末で会社を去ることになった。(これには驚いた)

試験勉強の中で、「病感」と「病識」って考え方を知ったのだが、ちょっとひねって「生感」「生識」という言葉を思いついた。

「生感」…自分が生きているという実感

「生識」…自分が生きているという認識

という感じかな。

たまに夜中に目が醒めて、「今の自分は生きているのかな?」「目が醒め瞬間までの空白の時間には、生感も生識もなかったな。。。」とかボンヤリ考えてまた眠ってしまうことが何度かあった。

あらためて、今の私にとって「生きている」という感覚、言葉をかえると「生感」は、朝、カーテンを開けて太陽の光を浴びることや、夜、冷たい空気の中湯上がりで銭湯から歩いて帰ってくる時間、高重量のバーベルを顔を真赤にして持ち上げている瞬間、とかなんだろうと思う。部屋を掃除してきれいになったと思う時間や、料理を作って素早く食事を済ませて食器を洗ったときとか。

 

この先、どっかにいくこと、なにかを成すことを考えるのと同時に、何かを感じながらちょっとだけ丁寧に生きることも、今の自分には、自分を保つためには大事な気がしている。

筋トレ(ボディーメイク)について

11月から GOLD'S GYM に通って真剣?(真面目?)にトレーニングをしている。特にBIG3と呼ばれるパワーリフティングの競技種目で、挙上重量の最大値を上げていくことに取り組んでいる。

そのためにトレーニングプログラムを組んで計画的に取り組んでいる。機会があれば大会にも出てみたいと思っている。

元々の目的はダイエットだった。

 

少し過去に遡ると、

  • 2014年の東京マラソンを最後に運動習慣が限りなく0になってしまっていた。
  • 2018年8月から、仕事で京都に半年住んだ際にランニングを再開するも足裏の筋を痛めて長期(1年以上)痛みで走れない時期があった。ウオーキングを30分以上していたが全然体重は落ちなかった。
  • 2018年12月に東京に戻り、ジムに通い始めた。

太っていることは実感していたので、時には糖質制限をしてみたこともあったが、もともと食べることが好きなので食事の制限はいつも長続きしなかった。

そして体重が増え続けても外食中心の食生活はまったく改善できなかった。

そんな中、コロナ禍で在宅勤務の機会が増え、運動不足の解消のため、ジムでのトレーニング機会を増やした。家でYouTubeを見る時間が増えて、筋トレYouTuberの影響を受け有酸素運動から高重量を扱う筋トレに移行した。

 

最近の変化は、

  • 当初目的のダイエットは進んではいるものの道のり半ば、脂肪が減って筋肉が増えている実感はあるものの、体重の絶対値はトレーニング前より増えている。
  • 挙上重量に対するこだわりが生まれている。BIG3でトータル500kgを達成したい。
  • 脂肪は減っているが、腹筋が割れているとかそういうことは全然ない。
  • 胸囲が増しウエストは細くはなっているが、ダイエット(今となってはボディーメイクというのが適切)でどこを目指すのか分からなくなっている。
  • 挙上重量の絶対値を上げることには価値を感じる反面、パワーリフターの体型がボディーメイク観点で最終的に目指すところでもない。
  • 食生活を改善して、挙上重量は維持しつつ体重(脂肪)を落とすというテーマはどうか?と考えている。(体重の記録を始めた)

全体感として、身体から脂肪は落ちてきているものの、筋肉は自分が思っているよりずっと細い状況だ。まだ脂肪がたくさん残っている部位もある。全体的に脂肪に包まれた大きな身体から、お腹周りに脂肪を残しつつ、胸や背中や肩の筋肉が多少ついてきた感じで、進捗はあるものの自己評価としては「総じて格好良くない」という状態である。

 

 

2020年を振り返る

今年もあと10時間。

今年は、30日から自宅に戻ってきて、これから静かに年を越そうとしている。

今夜のボクシングの世界タイトルマッチは、ものすごく楽しみにしている。地元の田中ではなく井岡に勝ってもらいたい。KOで。

 

1年間を振り返ってみる。

新しいチームを任されて、コロナが流行って、在宅勤務になり、本格的に筋トレをするようになって、会社業績が悪化して、大リストラとチームが解散となり、自分もクビになりかけて、社内公募で事業部を変わって、担当営業に戻り単身赴任のまま京都に引っ越して、11月は1件も京都での客先訪問が入らず、プライベートでは12月にバイクの免許をとって、、、

途中、姪っ子が亡くなり、嫁さんには「PCRを受けなきゃ帰ってくるな」とか言われ、、、まあ全般的にいろいろと酷かったなぁと思う。

自炊をするようになったのと、筋トレで身体が良くなったのは、自分にとっては成果かな。。。

これだけ色々あると価値観というか、これからの生き方も変わってきているんだと思う。来年は娘が大学の4年生になり、金銭的な山場(ほとんど感じていないけれど)を越える。

やりたいこともできているし、これからもやりたいことを見つけて、どんどんチャンレンジしていきたい。

今夜、紅白では YOASOBI の「夜に駆ける」を観るのが楽しみ。

2021年は大人のYOASOBI「年中駆ける」で、後は野となれ山となれくらいの気持ちでいこう。

小型二種ATの免許をとった(とりあえず車校を卒業)

京都での週末を楽しむために、小型二種ATの免許を取得した。(2020-12-13時点では車校を卒業しただけ)

2年前に半年間、京都に住んだ時にはお出かけように自転車を買った。

その時の印象は、京都市内もやはり広くて自転車だと行動エリアが限られる、だった。

例えば、出町柳のふたばで大福を買いたいと思った時、自転車で四条から買いに行こうと思えなかった。その時は、烏丸からバスに乗って移動するみたいな。

前も今も、京阪沿線とかは近いようでそう近くもない。伏見稲荷貴船神社、嵐山なんかも気軽に行こうと思える距離でもない気がしている。

バイクがあれば琵琶湖周辺とか宇治とかもうちょっと行動範囲が広げられるのではないだろうか。せっかく京都にいるのだから、もう少し気軽に色々と探検してみたい。

大望にはなるが、暖かくなったら日本海側まで1泊の温泉小旅行もしてみたいとも思っている。

免許の記載内容変更は、平日に住民票のある愛知県で実施しないといけない。

これが想定外に厄介だ。

 

そして車校も思ったように簡単には卒業できなかった。

唯一、一本橋が全然だめで、卒検前に2回も見極めで、一本橋から落ちて不合格になってしまい、精神的に深いダメージ(自信喪失して原付きにするか迷うほど)と、車校に余分に通うための時間を取られてしまった。