ただ過ぎに過ぐる物。帆をあげたる舟、人の齢、春夏秋冬。

今年は京都で美しい桜をたくさん見ることができた。

去年は浅草寺で桜を見ていたが、1年後に京都で桜を見てるなんて少しも想像していなかった。

今日は愛知県の自宅でこの日記を書いている。

 

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11月に京都に異動(引っ越し)して今月末で半年となる。

東京の新規部署の立ち上げでマネージャになり8年経った中、去年はコロナの業績悪化で部署が解体されることになり、自分は人員再配置プログラム(今辞めたらお得な退職パッケージ)の対象となっていた。

少なからず社内政治にも巻き込まれ、迷った挙げ句、今の状況を選択した。私を送り出してくれた尊敬する上司も1月末に退職された。もう東京に仕事の上で戻る場所はない。

 

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烏丸御池に家を借りて、平日は、ほぼ在宅勤務、GOLD'S GYMとフレスコと銭湯に通う日々。

その傍ら、バイクの免許を取得して週末は京都を散策、産業カウンセラーの資格を取得し、自炊をはじめて5ヶ月で筋力を伸ばしながら5kgのダイエットに成功した。

 

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こういう状況(自分ではコントロールできないことが多い状況)なので、前向きにその日1日を生きられるように意識しながら、同時に少し先のことも考えて過ごしている。(毎朝、朝食後の決まった時間に考えるようにしている)

娘も大学4年生になって、今年、資格の試験を受けて就職をすることになる。

そうなると、私の親としての役目も少し軽くなる(もともと軽いけど)ような心持ちである。

キャリアでいうと、今も新しいことにチャレンジをしながら日々感じているが、状況判断する能力や、人とのコミュニケーションに関しては20台30台より良くなっているけれど、衰えを感じる部分も少なからずあるので、バランスを考えていかないとだめだと思っている。

自分でしっくり来ているのは、「Integrated man になる」という表現。

まだまだ色々できると思っているし、どんどん自由になるし、そしてもっと自らで選んで生きていきたいなぁと思う。

 

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時間軸を意識すると、今は「60歳で節目がきて終わるかもしれないこと」ではなくて、「70歳くらいでどうありたいか?」って視点で考える方がしっくりくる。

子供は自分の道を進むだろうし、大好きな両親にはしっかり親孝行したい。

 

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30台の時は、「何かを得ることはすなわち何かを失うこと」という心持ちだった。

「失う(喪失)」という感覚が薄れているのかもしれない。

「可能性を失う(喪失)」という状態は、そもそも自分の手元に、それがある、状態ではないということに、改めて気づいたのかもしれないな。。。

喪失感のない人生にはドラマチックさがないし、悲哀に酔うこともできないので、面白みには、かけるかもしれない。愛だ恋だには未だに関心高いから、そういうのもちょっとは必要(欲しい)な気がする。 

 

近況報告でしたが、良い感じに過ごしています。

 相変わらずなのか、、、