自炊してない

大阪に越してきてから自炊をほとんどしていない。

調理環境がガスから電気に変わったのと最寄りのスーパーが家から遠くて(徒歩20分)。。。

朝に、コンビニで買った食パンを焼いたり、ご飯に納豆と卵をかけて食べることがある程度。

しかし、近所の松屋等にももう飽きた。朝から朝食メニューにすると食べすぎてしまう。

直近住んでいた京都(烏丸御池)、東京(浅草)は外食する場所には事欠かなかったし、徒歩圏にスーパーもあったので食生活は今よりずっと充実していたと思う。

上の地図の導線上に、会社(職場)と24時間ジムがある。

家→会社(15分)→ジム(3分)→ライフ(2分)という感じ。

毎日出勤して、早めの時間にジムに行って、ライフで食材を買って帰る生活にしてみようかと思っている。ただ電気のコンロで料理はしたくないので、ミキサーでスムージ作って飲むのと、ホットクックで鶏ハム的なものを作って弁当にするとか、そういうのを考えている。もしくはトースターをオーブンレンジに変えて、鶏むね肉のグリルとか。。。

要は、コストかけず、タンパク質の摂取量を増やし、筋肉を増やして脂肪を減らしたいということだ。腸内環境も良くしたい。その方が、色々はかどるだろうし、良い感じで毎日過ごせそう。

 

大阪に戻ってきて仕事をして一日を終える

15日に大阪入りして、睡眠をしっかり取って、お盆明けの仕事に臨んだ。

まだ少しだけ咳が出るので、オフィスへの出勤は止めて在宅勤務にしておいた。

早く寝たので6時頃に目が覚めて、起きてすることも無いので二度寝をして7時頃にどうにもならないので起床した。

8時から仕事をはじめて17時に終業。休み明け初日なので無理しないで早めに仕事を終える。

早めの時間(混む前)にジムに行こうと思ったら、近所のジムは木曜日までお盆休みということが分かり、諦めて早めの夕食(自炊)をとり、どんなに暇でも仕事だけはしまいと心に誓い、部屋と水回りの掃除をする。

それでもまだ暇なので、日記を書くことにして現在に至る、という感じ。

 

どういう条件が揃ったら、今の仕事を辞めてもいいのだろうか?

今の仕事だって嫌いじゃないけれど、単純に違うことをしてみたい。別にこの先、長く大阪に住んでいたいという気持ちも正直まったくない。

今日だって、客先に行かないんだったら、大阪にいる必要もないし、かといって愛知の自宅に居たかったわけでもない。忙しすぎるのは嫌だけれど、暇を持て余すのも好きではない。

何かしたいのに、面倒なことは何もしたくない。誰かと話したいのに、一人でいたい。

意味不明だね。コンビニに水を買いにいって風呂に入ろう。

 

 

何かが変わってきている。己の変化を確信

今年のお盆休みは、何して遊ぼうか、、、7月くらいから考えていて

とりあえず、

 

・東京に行って浅草で久しぶりに行きたい店に食事に行く

・稲武の叔父さんの家に行って山を散策(できれば川で鰻を捕まえたい)

 

を考えていた。

出張を絡めて、東京では浅草で行きたいお店に顔を出せたし、昔の仲間達とも久しぶりに楽しい食事もできた。

東京から愛知の自宅に戻ってからは、稲武の叔父さんの家に行った。

叔父さんの家の裏山から別荘予定地まで、これまで歩いたことのない山の中を歩いてみた。家の庭から見える砂防ダムより上は急斜面になっていて登るのがきつかった。山は杉と檜が植林されているので、歩いていても風景に変化がなくてあまり楽しくはなかった。

結構な頻度で稲武には行っているけれど、山関連のアクティビティーより、叔父さんの家を掃除したいという気持ちが強くなっている。

75歳の叔父さんは広い古民家での一人で暮らし。使っていない部屋はホコリにまみれ、家の周りには粗大ゴミが満載。祖父母が住んでいた、大きな田舎の立派な家が、古びて汚い家って感じになってしまっている。

今回は、池の水が全部抜けていた。叔父さんに池のことを聞いたら、「水を入れていない」と言っていたが、もともと山の湧き水を池に引いてきているだけなので、水を入れない理由が分からない。

かつて畑だった場所も、雑草で荒れ放題。「鹿が野菜を食べてしまうので、作る気がしない」と言っていたたが、年齢も年齢だし、いろんなことをするのが体力的に厳しいんだと思う。夏場でめちゃくちゃ暑いし。

 

娘が社会人になって、自分が頑張って働いて家族を云々の、意識こそしていなかったが、気張る必要がなくなって、サラリーマンを辞めたあとの時間の使い方を考える中で里山暮らしが気になり、そのための準備を開始しているというのに、ロールモデルの叔父さんは年寄りで家も畑もお墓も荒れているし、野菜は獣害で育てられないし、イノシシは豚コレラで激減して、畑を荒らすのは鹿と猿が中心で、罠猟の対象にしたいとは思えないし、少し萎えている。

池の水も抜かれているから、鰻を捕まえても泥を吐かせられないし、、、

 

そんなことを考えながら、レンタカーで軽トラックを借りて、自宅と実家の粗大ごみを市のクリーンセンターに運んで、ゴミの処理をした。

そして、喉痛と咳が出て、家にも居づらい感じになってしまったので、車で新大阪の別宅に行き、狭くなった部屋でダンボールから出せないまま積み上げられていた荷物を愛知の家に運んだ。

 

東京での食事 >> 愛知と大阪での不用品の処理 >> 稲武での散策  >> ネットで動画視聴(鰻関連、釣り) >> 時々仕事

 

で今年のお盆休みは終わる。

しかし、嫁さんと全く趣味が合わないし、共通の目的もなくなり一緒に生活もしていない日々なわりに、金銭的には依存関係があるというのはなかなか厄介な状況だな。

 

 

激しい運動は睡眠の質を下げる

新大阪の新居での生活もリズムが整ってきた感じがする。

職場が近いので、仕事は会社、家では(積極的に)仕事しないというマイルールを決めたのが良かったかもしれない。

もともと家で仕事をするのは、そういう環境が用意されていたので20年近く前からしていると思うけれど、単身赴任の一人暮らし、在宅勤務をベースにして、納期対応など前向きになれない仕事ばかりを、同じ場所で毎日繰り返していたら、まあ精神的にまいるのも無理はないと気付いた。(引っ越して気付けた。)

結局、京都での生活は、近所のゴールドジムが気持ち的な逃げ場だったんだと思う。ハードなトレーニングしていると、その間は完全に仕事から自分を切り離せるからね。

引っ越ししてからも、身体を良くしていきたいという気持ちは、変わらずある。

前提に食べることが好きだから、好きなものを食べても健康な状態でいられるようにするためには運動は必須だと思っている。

たくさん食べて、たくさん運動をして、身体を良くして、健康体でいられて、パフォーマンスを上げていく。。。

でも、50歳を目前にやはり変化は大きくて、、

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・たくさん食べる(同年代と比べればメチャクチャ食べられるけれど、自分比だと確実に食べられなくなっている)

・たくさん運動する(集中力の維持、回復力が落ちている)

・身体を良くして(瞬間的な出力が100の身体じゃなくて、常に70~80の状態でいて、時には手順を踏んで準備さえすれば100の力を出せる身体)

・健康体(身軽に動ける、十分な睡眠、エネルギーの収支を1日単位で合わせて生きる(無理しない))

 

体調が良くない

火曜日からワクチン接種3回目と同じ感じ(倦怠感、頭痛、首周りのこわばり)がしている。身の回りでもコロナになった人が多いので、気分的なものかもしれないけれど、それでもなんだか心配は心配なので、出社は控えて大阪の別宅で過ごしている。

営業職なのでお客様訪問のアポイントも入れたいという気持ちと、こういう時期ましてや自分の体調にも違和感があるので、今は訪問の打診は控えたほうがよいのではないか?とどこか中途半端になっている自分がいる。

注文をもらった製品が全然日本に入ってこないとか、納期は未定みたいな状態も続いているので、どこか普通じゃない日々は相変わらずだ。

いや、今となっては何が普通なんだろうか?という気持ちもするな。

6月末に生活における仕事比率を上げるために京都から大阪に引っ越してみたものの、1ヶ月と経たないうちに、自分の感覚なのか世の中がそうなのかはっきりはしないけれど、自分の想定以外の変化もあり、やはり何かが日々変わっているような気持ち(漂う感じ)になったりもするようなしないような。

文章書いているから、普段以上に自分の中に気持ちを向けているから、こういうまとまりのないことを書いてしまうのかもだ。特に何も深くは考えていない気もするぞ。

 

田舎暮らしを真剣に考えるプロジェクト(そう、「ドアを開けようとしたらうまく開かない問題」みたいな表現が最近多いよね。)は、絶賛継続中で、隔週で将来住みたいと思っている田舎(祖父の家の近所)に行っている。

中古物件を調べたり、バイクで空き家が無いかをチェックして回ったり、おじさんの山に入って山中を散策したり、思いつきで色々やってみてはいるものの、なかなか自分の中で軸になってくる活動がない。

 

崖崩れしていて侵入できなかったところ

なぞのキノコ

蝦蟇(全然動かない)

 

里山暮らしを考える

京都から新大阪に引っ越しをして1週間経過した。10年ぶりくらいに淀川の河川敷をランニングして、しばらくは大阪の生活も悪くないな、と思い始めている。それにしても梅雨が明けてしまい毎日暑くてしかたない。

週末は、金曜日の晩から愛知の自宅に戻り、土曜日は妹の家に停めさせてもらっていたバイクに乗って叔父の家に行った。

1ヶ月ぶりに祖父の墓掃除(草取り)をして、それから別荘予定地で両親と妹家族とBBQした。甥っ子姪っ子は川遊びをして、自分は羊肉や親鳥をたくさん食べた。羊肉は家で焼くと脂が酷いので外で食べるにかぎる。

温泉旅館の立ち寄り湯に入って汗を流し、バイクは叔父さんの家に倉庫に置かせてもらうことにして、両親の車で自宅に帰ってきた。

☆☆☆

最近は、今後の人生をどのように生きていこうか考えることが増えている。

生活の大半は、住んでいるところから半径1km程度の範囲の環境に大きく依存する。今回は会社の近くに家を借り、在宅勤務者だが毎日オフィスに通ってみた。同じ会社の人と顔を合わせる機会も増えて、仕事の面では明らかに何かが変わってきている感覚がある。

愛知の自宅に戻れば、近所の実家にも必ず顔を出す。家族の様子や両親の状況もなんとなく肌で感じて理解する。

収入がある程度あるうちは都市での消費を楽しむ生活は悪くないと感じていた。実際に単身赴任生活が長くなるなか、これまで住んだ場所は、「住んでみたい場所」にこだわりそれなりに楽しんできたと思う。住みたい場所を選ぶときは、半径1kmよりもっと近場にあるものにこだわって、半径300~500mをしっかり考えた方が良いと思う。

☆☆☆

身近な環境という意味とは少し異なるが、数時間レベル以上の滞在を考えると、トイレがものすごく大事になる。高校は寮生活、大学は部活の合宿所生活と集団生活には耐性が高い自分でも、トイレが汚い、汚い可能性が高いエリアには、絶対に行きたくない。

ここ10年くらい海外への旅行にまったく魅力を感じなくなったのは、トイレが汚い(経験、可能性)からだと思う。

☆☆☆

コロナの影響で動けなかった時期を除き、私は3拠点生活(赴任先の都会、愛知の自宅、いつ行っても歓迎される実家)をしている感覚だ。

今、老後のことも考えて4拠点目を考えている。中古で安い家を買おうか情報収集している。今の生活のペースだと、泊まれても月に2泊程度なんだよな。温泉宿に週末泊まるでもいいし、1人で色々確認するだけなら借家でもいいし、なんなら車で往復4時間だから車で通うでもいいんじゃないかと、、、

問題はトイレなんだよな。清潔なトイレないと4拠点目にはなり得ないんだよな。

トイレ、トイレ、トイレ

 

 

 

墓参りをして気付いたこと

「自分を100%応援してくれてる人がいると思うこと」は苦しい時に心の安寧につながると思う。これを「100%味方理論」とする。

今、生きているこの世界に確かなものなど無い、全てを疑う気持ちが強くなってくると、自らの心の拠り所としての、「100%味方理論」における100%の味方なんて、いったいどこにいるんだろう?と考えることになる。

すでにこの世にはいない人は「100%の味方」となりうると思う。私にとって生き方の憧れ、自分を100%応援してくれる存在として、亡くなった祖父はそういう位置付けになる。

だからか、心に迷いを感じた時には、祖父の墓参りに一人で行くことがこれまでにもあった。

祖父の墓は、里山の小高い場所にある。何年かぶりの一人での墓参りだったが、雑草が墓石の周りに生えていて、周囲の集落の人たちのお墓とは少し様相が異なっていた。

右下が祖父のお墓周り


(前回、一人で墓参りに行ったのは10年前かも、その時は手入れされていて、雑草は生えていなかったと記憶している)

https://euro-2.hatenadiary.org/entry/20121008/1349693922

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10年で祖母は施設に入り、跡取りの叔父は体調が優れないそうで、今はお墓の手入れまで手が回っていないことが分かった。

道具を借りて2時間位かけて全体の1/4くらいの雑草を抜き、叔父と少し雑談をして帰ってきた。

叔父 65歳→75歳

 

2時間草取りしてもこんなん(先は長い)


追記

気付いたこと何も書いてないわ(笑)また書くかも。